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2011年3月3日木曜日

デニーロさんとニューイヤー

2008年のニューイヤーは友達のマイラの家で祝うことになった。ロビンソンモールへ向かいマイラの家族へプレゼントとして何かを買っていこうと思い、スパゲティソースやトマト缶がつまったパーティ・バスケットがあったので買っていった。

ひとつのグラスで回し飲みするのがフィリピン流(セブ語でタガイという)。
家の前にベンチやらテーブルやらを持ち出してきて、家族・ご近所総動員で飲んだりしゃべったり。

そこで出会ったのが、マイラの叔父のERER。デニーロの叔父貴のそっくりさん。


タンドゥアイ・アイスティーを10杯くらい飲まされて酔っ払ってしまった。しかし相変わらず、フィリピン人は酒に強い。

彼は「フィリピンのいいところはなんだ」と聞いてきた。
僕は「みんなkindだし、Hospitabilityがすばらしい国だ。日本とは違う。うらやましい」といった。
彼は「本当にそうおもっているか?日本は豊かだ。しかしフィリピンは貧しい国だろ?」
僕は「確かにそれはわかっているが、幸せというのはこうして路上で家族そろって酒が飲めたりすることじゃないか」といった。

彼は「確かにそうだ。それもフィリピンが自由だからだ。路上で酒を飲むことも、政府の悪口をいうことも。音楽も。だがモスリムはどうだ?」といった。

彼は昔とんでもないワルだったと言った。シャブ(フィリピンでもシャブという)やマリワナをやったが、結婚し子供ができてからは、もうそういうのは辞めたといっていた。

そして最後に彼は言った。「何か困ったことがあれば、遠慮なく電話してくれ。力になるぜ」

「俺とお前はお互い長髪だから、仲間だな。」

とマフィアの仲間にされる。

時計が12時をうったとき、外は近所の人で溢れ帰り、僕は全く知らない人ばかりのなか、興奮と歓喜の中でハッピー・ニューイヤーを互いに叫んだ。

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