いつもニコニコ陽気な性格で有名なフィリピン人ですが、実際は本当にそうでしょうか?ある社会でのヒトの行動や態度について学ぶ人類学では、彼らがいったい物事に対してどういう認識をするのか等も研究してきました。
フィリピン人を理解するにはペサンツ(PEASANTS)研究が役に立つといえます。ペサンツとは開発途上国に多く見られる小作農で、利益のための余剰生産をしない農民のことだと定義されています。地方に分布しているといわれます。簡単にいって質素な生活をしている人たちともいえます。そしてフィリピンでは全国民の7割は貧困層といわれ、ペサンツと同じく、質素で困窮した生活を強いられている人が多いため、互いに共通点がありそうです。
ペサンツ研究というのは、現代では特に重要視されることはなくなりましたが、これまでに沢山の貢献をしてきました。特にメキシコ・ヴィレッジ研究のレウィス(Lewis)やイタリアのペサンツを研究をしたバン・フィールド(Banfield)などが有名です。
また、バークレー大のフォスター(Foster)はペサンツには、下記のような心理と行動様式があると発表しました。ペサンツにはMUTUAL-DISTRUST(相互不信)やIMAGE OF LIMITED GOOD(有限であるというイメージ)という認識行動がある、といいました。
簡単にいえばペサントは
- 個人主義である。(これは現代の他人には干渉しない相互不干渉という意味ではない。)
- 心の奥では、同じ共同体で暮らすメンバーを疑う。
- 政府の権限に敵意をもちつつも依存する体質(政府がどうにかしてくれる)
- 家族主義
- 数えられないものさえ、有限である。(共同体で有限な資源を共有しているといった共通心理をもつ。)
- 変化を嫌う。
- 視野が狭い。
みていきましょう。
ペサンツ研究からみたフィリピン人
1.個人主義/疑心暗鬼/運命共同体
ペサンツ研究では、ミューチュアル ディストラストといいますが、相互不信のことです。心の奥底では、お互いのことを信用していません。
そして個人または家族が経済的に裕福になることは、社会が不安定要素になると考えられるので好みません。例えば、裕福になった人を見ると、彼は騙されているのだと考えます。この社会では一人だけの抜駆けは許されないのです。冨の独占(たとえば所有する土地の拡大等)は周りの人間の反感を買うことになる。相手の足を引っ張ることで、抜駆けさせないようにするのです。これがクラブメンタリティ:Crab mentalityといわれます。飛び出た人を妬み、恨むのです。
強い絆で結ばれた家族と、依存体質というのも特徴です。コミュニティ内では家族が中心役割を果たします。いくらペサンツ内の個人主義(例え強い主張を持った性格であって)でも、家族が協調や服従を必要とするなら、個人の主張は退けられます。それほど家族の絆は固いのです。
フォスターは、「彼らは、水や土地、富、愛、力、安全性でさえ有限であるという認識をもっている」といいました。こういったものは常に少ない供給であるか ら、増やすことはできない、そう考えるようです。あるコミュ二ティでは人間の血や精子も同様に有限であると考えられています。ですから、コミュニティ内で 誰かがこれを一方的に増やすことがあれば、それはコミュニティ内の他の誰かから搾取しているという意味に捉えられるのです。それはペサントの有限であると いうイメージが、とめどない個人主義を助長し、永久にたゆみない闘争をコミュニティ内で繰り広げていることになるのです。
では、現代のフィリピン人は?
個人的な意見ですが、確かにフィリピン人は、他人に対して信用をしないと感じることは多くあります。そして、田舎に行けば行くほど、近所付き合いやバランガイにおける仲間共同体意識が強いことを実感します。外国人とでも結婚したりすれば、それは近所でもすぐに噂になるでしょう。他人を信用していないにも関わらず、干渉はする。それには人付き合いが非常に大切なのだと思われます。しかしながら仲間共同体意識をもちつつも、フィリピン人は、もの凄く個人主義な面があると言えます。これは日本人の団体主義と全く反対です。男性、特に女性は思った事や意見をはっきりと言う傾向があります。
家族主義の例としては、クリスマスなどの行事や、教会へ訪れたり、旅行したり、お祭り(フィエスタ)、それに年越しは家族で集まり、行い、過ごすのが一般的です。それにコミュニケーションとして、電話、SMS(ショートメッセージ)、ソーシャルネットワークサービス(Facebookなど)で常に連絡を取ったり、海外で働いている人が家族にインターネット電話(SKYPEなど)を使ってコミュニケーションを取ったりします。一般家庭では、何らかのつながりである複合家族で住んでいる傾向が多く、家族を大切にしています。
フォスターの例でいう有限性は、フィリピン人の性格から見ると、本質は、資本主義というよりも共産主義にほど近いのではないかと私は見ています。資本主義が政府方針ですが、コミュニティレベルまでくると、変わってくるというのが私の意見です。
ペサンツ研究からみたフィリピン人
2.政府不信+政府依存
他人を信用しないペサンツですが、コミュニティ内にとどまらず政府不信にまで広がります。これは搾取され続けてきたという彼らの歴史から学んだ教訓として拡がっているとされます。しかし一方では政府を頼みつつも、自ら革新的な行動をしないのがペサンツです。
革新的なものを嫌います。例えば、農業に関しても生産性の高い発明が持ち込まれても興味を示しません。新しい挑戦は失敗し、人生を狂わす危険なものと最初から考えています。彼らは小規模を好みます。
では、現代のフィリピン人は?
政府や政治不信はほとんどのフィリピン人が持っているものだと思われます。政治汚職・腐敗という考えは、フィリピンでは幅広く浸透していると言えます。ホセ・リサールという誰もが知っている国民的ヒーロー(歴史の中での革命家です。)また、ソーシャル・ムーブメント(社会運動)となったピープル・パワーなどは、特筆した政府不信を表した例となっていますが、それ以外では政治に対して非常に大人しい面を持ち現状を変えようとはしない依存傾向にあると言えます。フィリピンの政治権力に立ち向かうには、とほうもない労力を必要とします。政治に関わると、人権を無視した身内や本人の誘拐事件や、暗殺が起きたりすることもありました。ですから政治に関心はあるものの、不信気味に見ているのが一般のフィリピン人であるように、個人的には思います。それは変化を恐れるとも言えると思います。
そして、後押しするように、フィリピン人の陽気さからくる「今楽しまなければ、いつ楽しむの?」という考え方があります。
ペサンツ研究からみたフィリピン人
3.短期的な視野
メキシコのあるコミュニティでは「未来」という言葉はあまり使われないようです。都会で暮らす人間とペサントの間では、「時間」の概念にも大きく差があるようです。例えば、日本で言えば、「時間の概念を表す語」はたくさんあります。
「年」「月」「週」「日」「時」「分」「秒」などですが、とあるペサントでは「早い」か「遅い」という言葉しかない。それを見ると、どうやら大きく時間に対する概念が違っているということがわかります。
さらに生活水準、教育、職業、社会地位などの熱望が低いというのもペサントの特徴として挙げられています。すべては運命によって定められていると考えています。
では、現代のフィリピン人は?
さすがに時間の概念はありますが、日本人と比べて時間に正確ではない傾向にあります。待ち合わせしても、待ち合わせ時間通りにはこないこともしばしばあります。個人的に思ったのが、時計をしていない人がたくさんいますし、グリニッジ標準時間と正確に時計をあわせることを楽しみにしている人を未だに見た事がありません。文化的背景の違いがあるので、待ち合わせに遅れても怒らないように。
セブ語でいえば、「過去完了」「現在完了」「未来完了」などの表現方法が少ない、もしくは無いということからも、時間に対して対して重要視していないとも言えます。
また短期的な視野に関しては、約7割と言われる低所得層の方は、貯金、保険、投資とは無縁にある傾向で、それよりも間近に迫る問題(色々な形の借金など)、それも短期的な出費の方に意識を向けていると言えます。その性格を逆手に取ったマーケティングが行われているのを紹介します。
フィリピンでは、シャンプー、コンディショナー、整髪料、歯磨き粉は一度使い切りの、小分けパック(サシェー)という形でも売られています。多くの低所得層の方は、例えば、ある有名会社のシャンプーは、1小分けパック5ML/10円程度で、同じシャンプーの、大きなボトルタイプで180ML入り/200円で売っているとします。それでもフィリピンでは、小分けパックが売れてしまうのは、短期的な視野でものを見ているのを証明していると言えます。
その他、そうした短期的視野を狙った、ネットワークビジネスまであります。
短期的な視野というと、フィリピン人の性格は楽観的だと言われています。そして、陽気であると。しかし楽観的とフィリピン人の陽気さは区別するべきだと私は思います。
確かにどっきりや、ミスタービーンなどのテレビ番組も有名ですし、ユーモアが好きな方たちなんだと思われます。しかし、私が強調したいのは、「陽気」を言い換えると、楽しい事をその時、楽しむのが巧い人たちなのだと。
例えば、フィリピンのショッピングモールへ行くと、店員さんが仕事をしながら歌をうたうこともあります。バーやカラオケにいけばうるさいほど笑っているフィリピン人を多く見かけます。
しばしば、日本とは違う態度や行動を取ったりして非常に困惑する場面があります。人によってはフィリピン人の陽気さを、「楽観主義」、「今日が楽しければ、 それでいいや」と考えるひともいます。そしてそれはネガティブな意味を含みますが、決して彼らが仕事に対して不真面目ではないし、不謹慎であるわけではな いのです。
フィリピン人というのは、楽しいことを瞬時に楽しむプロなのかもしれません。
「今、楽しまないで、いつ楽しむの?」「どんなこと時でも楽しいものは楽しいんだから、笑うのは当然でしょ」という考え方だと、少しポジティブに聞こえ、彼らは人生を楽しむのが巧いため「陽気」なのだと。
多くの場面で楽観的だと思われるのは、 「運命」や「迷信」を信じることが多い傾向にあることかもしれません。フィリピンは非常に多くの信仰者をもつカトリックの国です。例えば、ある信仰行事では、夜通し数百万人が行進することもあります。そして、迷信や言い伝えを非常に信じている傾向があります。「自分がなんとかしようというより、なんとかしてくれるのは神による運命である」と考える人も多くいたり、「不幸が起こるのは、自分以外の大きな力が働いていると考えるから」ではないでしょうか。
おわりに
しばしば日本人には理解しがたいフィリピン人の性格や行動は、ペサントについての研究した文献や記事を見てみると、朧気ながら見えてくるように思えます。さて、一般的にいわれるフィリピン人が陽気な性格というのは、本当にそうでしょうか?そういった面もあると思いますが、それも沢山ある中の側面だけを捉えたものだということもわかります。
ペサンツは開発途上国の人口のうち3/4を占め、インドでは50万人以上、アフリカ、アジア、ラテンアメリカの総合ではざっと10億7500万人が ペサンツといわれていました。しかし現在ではグローバル化が進んで本来の定義であるペサンツは存在しなくなったとも言われています。
さらに中国、キューバ、ロシア、フィリピンやベトナムといった国におけるペサント研究から、ペサントがいくら穏便で変化を好まないとしても、共産主義革命のための政治目的に利用されることがあるということを歴史が証明しています。
ペサンツ研究は開発を学ぶ人らにとって重要です。なぜなら開発という行為は、国や企業などの「開発」側の目線、ペサンツなどの「開発される側」と両面が存在します。
「開発」する側は経済学的視点がベースになりがちで、利益を重要視しますが、それ以外の重要なファクターはないがしろにしがちです。例えば「ここは土地を有効利用するため、開発し経済発展させよう。」といった具合です。
人類学的視点では、「開発される側」の人々の取り巻く環境や状況を調査し、分析します。例えば「この土地は住民の文化そのものであり、外からではわからない何か特別な価値や意味があるはずだ。」といった具合です。
開発とは開発する側、される側両面を理解することが重要だといえます。それには経済的視点だけではなく、人類学的視点が非常に重要です。人類学的視点では、 その土地の経済活動を含む包括的な調査や分析を行います。さらに開発人類学では「開発側」と「開発される側」ちょうど中立の立場にたち、どういった政策が 互いにとって両得なのかを考えます。
ペサント研究から、フィリピン人の性格や行動分析、開発におけるアプローチの仕方などに非常に役に立ちます。当然フィリピン人すべてに当てはまるわけではないのですが、少なくともペサント研究は今後も重要だといえるでしょう。
私は11年間マニラで勤務していた。周りに日本人は一人も無し。感じたことは、まず日本人が持っているイメージ。金が無くても明るい。「計算ができないし、明日のことさえ考えず、いつでも今のことしか考えられないだだのバカ」借金は何とも思わない、返さなくても平気。知能が低く何も理解できない、記憶力も無い。うそつき、時間は守らない。気が狂ったようなヒステリー。未婚でガキを産むのは何とも思わない。感謝の心が無い,その時だけのありがとう。それも三歩で忘れる。肉体関係常識は、動物と同じ。
返信削除上記は、正しいと思う。ただし、そこそこの教育を受けた一部の人間には、まだ救いがあるし、華僑の血筋をくむのは、多少」の違いあり。
返信削除英語をしゃべるし、アメリカ風の教育をうけているので、なんとなく
まともかと考えられるが、中身は、土ジンということだろう。
小生も、金のかしかりには、苦労した。貧困があるとはいえ、あのルーズさは、ビジネスをやるものには、しんどい。
人を堕落させるすべてのもが、そろっているので、遊びにいくにはよいだろう。一見、ヒューマニズムを提唱する日本人が、フィリピンの悪口をいうと批判するが、それは、本当の姿をしらないだけだ。あの一見明るい笑いのうらに、かくされたその暗さは、かの地で、苦労したもの以外には
体感できない。階級社会とは、弱者が、弱者をいじめて成立する。
ただ、人類学のような文化性を論じるような学問の材料は、フィリピン
で、多分にみつかるから、おもしろいかと。
私はフィリピン人を講師を採用してのオンライン英会話で起業した人のブログを読んでいて、社会貢献も考えているというところから、最初は大変興味を持ったのですが、実際にフィリピン人講師のスカイプレッスンでのフリートークの内容と雰囲気から、フィリピン人と関わるのが嫌になりました。
返信削除英語は問題ないのだと思いますが、性格や気質、モラルが低い…
私は数ヶ月継続してレッスンを受けており、日本人企業家(スクール社長)のブログなどを読んでいますが、その日本人は常に異国を旅しており、住居が定まっていない生活を好んでしています。社長本人がそうとう不思議な変わり者でいて、そのくせブログで村上春樹を変体人扱いで批評しているのだから、何だか不思議オンラインスクールワールドなんだな…と改めて感じています。
なんだかいろいろ腹が立ってきて、勝手ながら書き込みをしてしまいました…!
匿名さん>フィリピン講師とスカイプでオンラインレッスンですか?
返信削除匿名さんがフィリピン人と関わるのが嫌になったのは、英会話のレッスンを通じて、そのフィリピン人が匿名さんのニーズに応えられなかったことが原因ですよね。
「英語がしゃべれる」から「英語を教えられる」というわけではありませんよね。そして、モラルや性格、気質は、相手側からのサービスに含まれますが、その人は匿名さんが満足するサービスに応えられなかった。
その上、日本人の求めるサービスの質が、世界に比べて非常に高いということも知らず、お客様のニーズを掴んでいなかったのでしょう。
英会話オンライン事業だけでなく、フィリピンにあるアメリカ系コールセンター事業などでは、インドなどの新興国との価格競争の中で、フィリピン人が働く業種もあります。そこでもお客様のニーズを掴めなければ、彼らは仕事を失うでしょう。
次回はいい人を見つけましょう!なぜなら「全てのフィリピン人講師」がそうではないからです。日本人をお客がサービス対象にも関わらず、日本人のお客様に対する社員教育が行き届いていない・・・そんな会社は、過熱するオンライン英会話事業から、すぐに淘汰されるでしょうから安心して、別の会社で英会話にチャレンジされることをおすすめします!
オンライン英会話の講師は教える資格を持っている人がやはり優先的に採用されるようです。英語を母国語としない人に英語を教える資格ってのがあるそうです。
返信削除2年ほどオンライン英会話をしていますが、先生の数も40名弱で、日本人スタッフの心配りで離職率がきわめて低いようです。
ただ、労働時間がやたら長いので、遅い時間のレッスンではお疲れのご様子が見受けられます。
話が最初から逸れましたが、香港人やタイ人の女の子には惚れても、
たびたび訪れるフィリピンでなかなか女に惚れたことが無いです。
なので、上記の方々ほどのコメントはできないのですが、
正直言えば、綺麗でかわいい人は多いのですが、色っぽくないですね。
「フィリピン女性の持つ魅力」は僕を魅了しないのだと思います。