筆者、谷沢永一は、著書の中で日本人はリアリズムを捨てて、イデオロギーに走り、官僚政治の腐敗、学歴社会といった事柄を、日本の歴史をさかのぼって証明していく。
今日の日教組による左寄りの教育、つまり自虐史観をもった戦後の若者たちへのプロパガンダとして、日本人がかつてもっていた日本人らしさというものを忘れてはいけない、そういった内容である。
かつての明治時代の知識人の間においても、左や右へ分かれて、イデオロギーによるものではなく、営業のために文学界、政治界において真っ二つに割れていた。しかし、かつての日本人は、現実に基づいた中国から輸入された宗教によって、リアリストであり、現実主義者であった。マルクス主義が輸入され始め、レーニンによるプロレタリアートといった労働階級だけでなく、知識者層を労働闘争へと巻き込まなければ 闘争を勝つことができないという考えから、一気に爆発的に市民権を得たのが、デモクラシーといったイデオロギーが先行するゆえんとなったと筆者は見ている。
現代に置き換えて言えば、池田大作の創価学会を母体とする公明党は、プロレタリアートから出発し、ロシアや中国などの共産主義的説法を唱えており、幹部は弁護士などの知識層を取り入れているので、この点においてはレーニンと一緒である。
日米安全保障について、青春時代を学生闘争ですごした若者、そして日教組による左寄り教育、若者は自虐史観へとつながる傾向にある。青少年のための推薦図書や、教科書、映画、それだけではない、いのちの食べ方、コーヒーの真実など、現在アマゾンで売り上げをあげているのは、レフティストによる資本主義への警鐘を鳴らすものが上位を占めている。さらにいえば、イルカ漁を無断盗撮し、アカデミー賞で賞をとったThe Coveや、オーストラリアのピースボートなど、人類学から見てもほかの食文化を否定することはできないし、国や民族でのその相違においては、理解されるべきものであるにもかかわらず。イデオロギーを押し付けてさえいる。
現在にインターネット上においては、こういった自虐史観に対して、異を唱える若者を含めた人たちがいるのもまた事実である。著者も著書の中で言及しているが、こういった保守的や革新的な意見というのは、とどのつまり現在の出版社や政治におけるトレンドにあわせているのだ。それは発行部数主義であり、視聴率主義であり、イデオロギーである。そういったものがあるおかげで、時代は左、右へとぶれてきたのだ。しかしながら、インターネットというものは、こうしたイデオロギーには寛容に意見が飛び出ることがある。それはイデオロギーではなく、情報至上主義であるから、である。この主義においては、圧倒的な情報が各方面から、細かいレベルで集めることができる、現実主義だといえる。これはかつての知識人が海を渡って、海外へ勉強しにいく労力の何倍もの手軽さで情報を得ることができるようになった技術によるものである。
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